西欧文化史1:美術中心

 ギリシアの文明はクレタ・ミケーネのエーゲ文明を通してエジプト文明の影響を受けて成立しました。クレタ文明の民族系統は不明ですが、形式化の進んだエジプト絵画に対して、陶器や宮殿の壁画において海洋民族らしい開放的で流動的な特色が見られました。ギリシア人によるミケーネ文明がドーリア人により破壊されたのち、前8世紀に集住によりポリスが成立し、本来のギリシア文明が発達しました。文化の中心はアテネで、民主政治の完成につれて、人間中心の文化、合理的な文化が形成されました。美術は彫刻が主で、神々の彫像が作られました。写実的で、気品や調和美が追究されました。建築は大理石を使用し、壁の外に円柱で補強をほどこした列柱形式です。まだアーチやドームの技法は知られていませんでした。そのため現在では屋根は崩落しています。ヘレニズム時代になると、ギリシアの完成した調和美をむしろ崩すことにより特色を出し、女性のなまめかしさや苦悩の一瞬などが好んで表現されるようになりました。また、ギリシアの美がオリエントにも普及するようになりました。

 ローマもギリシアの美を越えることを諦め、ヘレニズム美術の継承・普及に努めました。ギリシアから過去に制作された彫刻を持ってくることもしばしばありました。しかし実用的な分野ではすぐれており、土木・建築ではアーチ・ドームの技法を使い、すでにセメントも接着剤として利用していました。そのため現在までその姿をそのまま残しているものが多数あります。

 東ローマ帝国ではゲルマン人の大移動の影響を受けず、ギリシア・ローマの古典文化がそのまま継承されました。しかし7世紀になるとイスラームの侵入に対抗するため、社会が変質し、ビザンツ帝国と呼ばれるようになりました。またスラヴ人の進出も始まります。ギリシア正教のビザンツ式教会が造られ、ドームとモザイク壁画が発達しました。また、聖母子像やキリストを描いたイコンと呼ばれるテンペラの板絵が飾られました。

 ローマ帝国でキリスト教が公認されてから、バシリカ式の教会が建てられたが、中世のヨーロッパでは最初これを引き継ぐと同時に、ビザンツ式の教会が導入されました。11世紀ころから南フランスでロマネスク式が興りました。長方十字形の会堂の上にドームを乗せました。壁と柱に強度が必要なため、窓は少なく、内部は暗く、荘厳さや厳粛さが漂う様式でした。さらに超自然的な真理を芸術的に表現するため、怪奇な動植物などの装飾が用いられました。これに対してゴシック式は12世紀ころから北フランスで興り、アーチ状の肋骨で補強し、教会堂を著しく高くすると同時に、大きくなった窓をステンドグラスで飾りました。また、教会を飾る絵画や彫刻は聖書に由来するもので、一般に稚拙と言われています。しかし中には古典文化の伝統を感じさせるものもありました。

 ルネサンスは1416世紀にかけて興った古典文化の再生運動で、まずイタリアで始まりました。建築では正十字形や列柱形式などの古代的な要素を再導入すると同時に、大ドームに象徴されるような、巨大化したロマネスク式ともいえるルネサンス様式が成立しました。特に発達したのは絵画で、イタリアでは近世絵画の祖といわれるジョットや遠近法を確立したマザッチョを初めとして、多くの画家が活躍し、宗教画において人間の美しさやすばらしさを描きました。また、万能の天才といわれたレオナルド=ダ=ヴィンチに代表されるように、彼らは単なる画家でなく、多くは建築家でもあり、更に様々な分野で才能を発揮する人もいました。しかし彼らは有力者の注文ないしは支援で制作するので、制約も受け、貴族的な性格を持ちました。毛織物の手工業が発達したネーデルランドではファン=アイク兄弟が油絵の技法を開発し、富裕な商人の肖像画を描きました。ブリューゲルはそれまで見向きもされなかった農民の生き生きした姿を初めて描きました。ドイツは一般に技巧的で、むしろ職人技をいわれる場合もありましたが、デューラーの版画は内面性の正確な表現で次第に評価を高めていきました。

 絶対主義期には華やかな宮廷文化を反映してまずバロック美術が発達しました。建築ではヴェルサイユ宮殿に代表されるように、豪華できらびやかな建物が造られました。装飾過多ともいえます。絵画ではルーベンスがその代表者ともいえ、豪壮で官能的な絵を描きました。一方このころには市民の力も台頭し、彼らの生活感情を表す文化も発達しました。レンブラントが代表で、そこには自立した自我の強い意志が描かれています。その後、ロココ式に移行しますが、これは宮殿の内部装飾として発展し、中国から輸入された陶磁器の透明な、優雅さが追求されました。小規模ながら大理石を多用したサン=スーシ宮殿やワトーの絵画が有名です。

 古典主義は文学の領域ではそれぞれの国の絶対主義の絶頂期に発展しました。そのころにイタリアから導入されたルネサンスの文化が国民文化へ成熟しました。19世紀になると、フランス革命やその後の政治・社会の激動の中で古典主義が見直され、復活しました。ダヴィッドは均整を重んじた絵画を描きました。ウィーン体制の中で、自由主義・国民主義が高まりますが、その動きの中でロマン主義が生まれました。一方では激しく自由を願望し、他方では伝統に立ち返って民族の独自性を追求しました。ドラクロアは前者で、『民衆を導く自由の女神』で自由主義運動を支持しました。19世紀の後半になると、自然科学の勃興とともに写実主義・自然主義が隆盛となりました。ミレーなどのバルビゾン派は敬虔な信仰に満ちた農民生活を主題としました。また、クールベは徹底した写実主義を追求しました。しかしありのままに描くことに飽き足りない人々は芸術家の感覚に基づく主観的な表現へ向かい、印象派を興しました。特に明るい光の中での微妙な色合いが追求されました。マネが創始者、モネが確立者とされています。また原色を基本とする印象派絵画の色調へは日本の浮世絵の影響も指摘されています。セザンヌに始まる後期印象派の人々は外界の印象よりも精神に重点をおき、対象の本質を捉えようとしました。

 20世紀になると、主観的な傾向は強まり、自己の内面からの要求を重視しました。表現主義はドイツで盛んで、色彩を強調し、形態を誇張し、主観的な意志の表現を重視しました。政治上では独占資本に対立する小市民の立場を取りました。立体派はフランスで盛んで、キュービズムとも言われ、色彩を無視し、形体だけを立体的に再構築しようとしました。野獣派はフランスで興り、フォービズムとも言われ、フォルムの単純化と色彩の解放を強調しました。原色を大胆に用いた奔放な色彩により、自己の内的生命を大胆に描写しました。超現実主義はダダイズムを受け継ぎ、シュールリアリズムと言われる。精神に内在する夢ないしは潜在意識の世界を探求して、未知の美や真実を発見しようとしました。

 

ギリシアの美術

1)、アテネの美術・建築

 1、彫刻…明るく、写実的、均斉と調和重視、神の彫像なので気高さを追求、アルカイック・スマイル… フェイディアス 「アテナ女神像」、プラクシテレス「ヘルメス像」

 2、建築…大理石利用、列柱形式、エンタシス

イ、    ド−リア式 …安定・荘重、 パルテノン神殿 が典型(フェイディアス)

ロ、   イオニア式 …優雅、渦巻の装飾の柱頭

  ハ、  コリント式 …華麗・繊細、葉の装飾 

2)、ヘレニズム時代の美術

 1、ギリシア文化とオリエント文化の融合→広く普及

 2、華麗、技巧的、感情の誇張

 3、「 ミロのヴィ−ナス 」、「 ラオコ−ン 」、「瀕死のガリア人」、「サモトラケの二ケ」

 4、インドに影響… ガンダ−ラ美術 の成立→中国・日本

 

ローマの美術

1)、特質

 1、一般に独創性に乏しく、 ヘレニズム文化 の継承・普及

 2、実用的分野に独自性…土木・建築は特に発達、アーチ・ドームの技術、セメントの使用

2)、土木…道路・水道など… アッピア街道 ・ガ−ル橋

3)、建築… パンテオン (万神殿)・コロッセウム・カラカラ大浴場・凱旋門などの公共建造物(→ポンペイ)

 

ビザンツ帝国の美術

1、特色・意義…  ギリシア・ロ−マの古典文化 の継承→ ルネサンス に刺激・影響、宗教はギリシア正教

2、ビザンツ式建築の発達…  ドーム   モザイク 壁画が特徴→ハギア=ソフィア聖堂、サン=ヴィターレ聖堂、イコンの発達

 

中世ヨーロッパの美術

1、中世文化の特徴…キリスト教中心の文化、僧侶と教会が文化の中心→教会建築が中心、絵画・彫刻もこれに従属

2、ビザンツ式…中世初期、正十字形、それ以前にはローマの会堂を利用したバシリカ式

3、 ロマネスク 式…11世紀以降、ラテン十字形、半円状ドーム、厚い壁→ ピサ 大聖堂

4、 ゴシック 式…12世紀以降、高くそびえる教会、尖頭アーチ、ステンドグラス、柱の彫刻→フランスの アミアン 大聖堂・ ノートルダム 寺院、ドイツの ケルン 大聖堂、イギリスの カンタベリ 大聖堂

 

ルネサンス期の美術

1)、特色

 1、古典文化の再発見…古代ロ−マの故地、東方貿易による イスラーム 文化・ビザンツ文化の流入、 ビザンツ 帝国の滅亡による学者のイタリア逃亡、 14  16 世紀に発達

2、ヒュ−マニズム(人文主義)の発達→人間の品性を高め、人間らしい生き方を追及→自由主義・民主主義を基調とする近代精神の源流

2)、建築

 1、ルネサンス様式…ド−ムとギリシア風列柱の組合せ

 2、 サン=ピエトロ大聖堂 …ブラマンテ→ラファエロ→ミケランジェロ(1506年、ユリウス2世→レオ10世)

 3、サンタ=マリア大聖堂… ブルネレスキ 

3)、イタリアの美術

 1、ジオット…『聖フランシスの生涯』、フィレンツェ派の祖

 2、マサッチョ…15世紀前半、遠近法の確立→写実主義の基礎

 3、 ボッティチェリ …『ヴィ−ナスの誕生』、『春』

 4、 レオナルド=ダ=ヴィンチ …『モナ=リザ』・『最後の晩餐』、万能の天才、自然科学と応用技術

 5、 ラファエロ …『グランドゥカのマドンナ』、聖母子画家

 6、ミケランジェロ…『 最後の審判 』(システィナ礼拝堂)

 7、彫刻…ミケランジェロ『 ダヴィデ 』・『モ−ゼ』、ドナテルロ

4)、ネ−デルラント

 1、南北ヨ−ロッパの中継地として都市が発達、毛織物工業の発達

 2、 ファン=アイク兄弟 …『アルノルフィニ夫妻』、油絵画法の創始→フランドル派の祖

 3、 ブリュ−ゲル …『結婚の祝い』・『農民の踊り』

5)、ドイツ

 1、遠隔地貿易と鉱山業で繁栄した 南ドイツ が中心、宗教的・学問的・内面的な性格が強い→聖書を主題にした多くの版画、細かな技法

 2、 デュ−ラ− …『四使徒』

 3、 ホルバイン …『エラスムス』

 

17〜18世紀のヨーロッパの美術

1)、絶対主義時代の文化的特色

 1、絶対主義の持つ過度的な性格…宮廷文化と市民文化の二面的な文化形成

 2、宮廷文化…バロックとロココ、古典文化の発達など→権威の誇示

 3、市民文化…生活感情を反映→国民文学の発達、哲学の発達など

2)、バロック式美術

 1、時期…16世紀後半〜18世紀はじめ、宮廷中心

 2、意味…真珠の形の不規則なものの形容語

 3、特色… 豪壮 、華麗、豊かな動感、著しい明暗の対比、官能性、力と情熱

 4、建築…ルイ14世が完成した ヴェルサイユ 宮殿

 5、絵画… ル−ベンス 、ファン=ダイク(フランドル地方)、 ベラスケス ・エル=グレコ・ムリリョ(スペイン)、

6,市民絵画… レンブラント 『解剖』・『夜警』(オランダ)などが活躍

3)、ロココ式美術

 1、時期…18世紀半ば、宮廷生活の爛熟を反映

 2、意味…人工巌窟に備える装飾用の岩・貝殻

 3、特色… 繊細 、優雅

 4、建築…フリ−ドリヒ2世が完成した サンス−シ 宮殿

 5、絵画… ワト− 、ブ−シェ(フランス)などが活躍

 

19世紀のヨーロッパの美術

1、古典主義… ダヴィッド (仏)、アングル(仏)

2、ロマン主義… ドラクロワ (仏)『民衆を導く自由の女神』

3、写実主義… ミレ− (仏、バルビゾン派)『落穂拾い』・『晩鐘』、コロ−(仏)、 ク−ルベ (仏)

4、印象派…光の輝きと色を強調… マネ (仏、開拓者)、 モネ (仏、確立者)『すいれん』、 ルノワ−ル (仏)『水浴の女達』、 ドガ (仏)『踊子』、 セザンヌ (仏、後期印象派)『聖ヴィクトワ−ル山』、 ゴ−ガン (仏)『三人のタヒチの男女』、 ゴッホ (オランダ)『向日葵』、 ロダン (仏、彫刻)『考える人』

 

現代のヨーロッパ美術

 

1、表現主義…クレー→色彩の強調、形態の誇張

2、立体派…ピカソ『 ゲルニカ 』・ ブラック →物体の構成を総体的に表現

3、野獣派… マティス ・ルオー→単純化されたフォルム、鮮明な原色での描写

4、超現実主義…ダリ、シャガール→内部意識の表出を主眼