地中海文化圏(中世) コロナートゥスの発達や地方での軍人の独立などに見られるように、すでにローマ帝国末期に社会の封建化は進んでいました。このような状況の中でゲルマン人が侵入してきます。秩序の崩れた混乱状態では土地を媒介として主従関係を結んで身を守る以外に方法がなく、本格的に封建社会が形成されます。ゲルマン諸国の中ではフランク王国が力を伸ばします。いち早く正統のアタナシウス派のキリスト教に改宗したこと、移動距離が少なく、急速なローマ化を避けて安定していたことが理由です。他方ベネディクトゥス派の修道院の活躍や初代教皇といわれたグレゴリウス1世のゲルマン人への布教により精神的な支柱としてローマ教会が権威を高めて行きます。イスラーム教徒の侵入を撃退し、フランク王国はヨーロッパの中心勢力となり、両者が急速に接近していきます。ついにカール大帝時代にローマ教皇より西ローマ皇帝権を与えられ、ローマ文化・ゲルマン精神・キリスト教を支柱とした西欧世界を統一します。これは皇帝と教皇をいう二つの中心をもつ楕円的な世界です。 その後フランク帝国は分裂し、ライン川・アルプス山脈などの自然の障害やローマ人とゲルマン人の混ざり具合からドイツ・フランス・イタリア三国が成立します。やがてマジャール人を撃退し、神聖ローマ帝国を築いたドイツが中心となります。9世紀になるとノルマン人が民族移動を開始し、商業の復活の契機となると同時に、封建社会を再編成し、やがてフランスのノルマンディー公国、イギリスのノルマン朝、イタリアの両シチリア王国、ロシアのノヴゴロド王国など個別国家を増やしていきます。10世紀には不輸・不入権が発達し、それぞれの荘園領主が最も独立性を高め、ばらばらな社会となります。しかし個々の荘園に集中することにより、生産力が高まり、物が余り、次第に目を外に向けるようになります。一方、このばらばらな社会で教義の不一致や腐敗堕落に苦しんだカトリック教会では、クリュニー修道院の改革・粛正運動が起こり、ローマ教皇権は高まりました。 封建社会の成熟や教皇権の高まりにより十字軍が始まり、西洋中世社会は急速に動的となり、後期へと移行していきました。十字軍とともにローマ教皇はその指導者となり、絶頂期を築きます。また、十字軍とともに香辛料を中心とした東方貿易が始まり、貨幣経済が発達して都市が繁栄します。ギルドが形成され、自治都市が形成されます。特に王権の弱かったイタリアやドイツでは都市同盟が発達し、独立した存在になります。貨幣経済の発達により荘園が階層分化により崩壊し始めます。荘園では特に直営地で働く労働地代の割合が高かったのですが、没落する農奴が増え、それが不可能となり、生産物地代が増え、さらには貨幣地代へ発展していきます。その結果自立した独立自営農民が次第に形成されます。その中で領主層は弱体化していき、封建社会は崩壊していきます。十字軍が結局失敗に終わったので、カトリック教会はその失敗の責任を追及され、さらに世俗的な世界への関わりから腐敗・堕落が著しく、アナーニ事件を契機に王権により押さえられていきます。また、イタリア政策によりドイツの支配がおろそかになった神聖ローマ帝国では逆に諸侯の自立化が進み、領邦国家へ分裂していきます。これに対して王や大商人の力が高まりました。両者は協力し、混乱した社会の立て直しに向かいます。王権の発達したイギリスやフランスでは次第に身分制議会が形成されていきます。
1)、ヨーロッパ中世社会 1、ゲルマン民族の大移動… フン族 の西進→東ゴ−ト族を服属→ 375年、西ゴ−ト族の移動開始→ローマの弱体、ゲルマン諸族の移動→混乱、諸国家建国 2、フランク族の台頭…小部族に分かれて北ガリアに拡大→急速なロ−マ化さけ、安定、メロヴィング家の
クローヴィス が小部族を統合して王国形成、アタナシウス派のキリスト教へ改宗→ロ−マ教皇との関係親密化→
カール=マルテル の軍制改革、732年に
トゥール・ポワティエ間の戦い でイスラーム教徒を破る→カロリング朝の成立(751年、ピピン)→ ピピンの寄進 、ラヴェンナ地方を献上→フランク王国とロ−マ教皇の接近 3、ローマ=カトリック教会の発展…古代ロ−マの首都、第一使徒 ペテロ の建設→五本山の一つ→ ベネディクトゥス 派修道院や正式の初代教皇 グレゴリウス1世 の活躍 4、カールの戴冠…800年に教皇 レオ3世 から ローマ皇帝 の帝冠→西ローマ帝国の復興、東ローマから独立→古典文化・キリスト教・ゲルマンの要素が融合 5、フランク帝国の分裂…843年の ヴェルダン 条約、870年の
メルセン 条約→イタリア・東フランク( ドイツ )・西フランク( フランス )→ドイツのオットー1世の活躍→教会勢力と協力して
マジャール人 を撃退→神聖ロ−マ帝国の成立(962年)→イタリア政策…歴代の皇帝、イタリア遠征→教俗両権の争い、国内大諸侯の勢力増大→国内不統一の原因 6、ノルマン民族の移動・建国…
ノヴゴロド国 の建国(862年、ロシア)→北フランスに
ノルマンディー公国 の建国(911年)→
ノルマン=コンクェスト (1066年、ノルマンディー公ウィリアム、強い王権確立)→南イタリアに
両シチリア王国建国(1130年)→本拠地にデンマ−ク・スウェ−デン・ノルウェー三国の建国→活動の意義…商業の復活、封建社会の再編成、個別国家の形成 7、封建制度(フュ−ダリズム)の成立…自給自足の閉鎖的農業社会に外敵の侵入が加わり、近くの有力者に保護を求めて8世紀ごろ形成…ローマ末期の
恩貸地制 やゲルマンの 従士制 に起源→国制化…カ−ル=マルテルの軍制改革、フランク帝国の成立→封建家臣の独立強化→10世紀ごろ完成、不輸・不入権の発達→基本構造… 封土 の授受を中心に成立した領主相互間の
主従関係 →各領主は荘園を所有し、農奴を支配…領主直営地・ 農奴保有地 ・共同利用地に三分、開放耕地制(有輪重量犂の使用)、 三圃制 、自給自足経済、 領主裁判権 →農奴に移動の自由なし、賦役と貢納の負担、さらに十分の一税 8、ローマ=カトリック教会の改革・粛正運動…11世紀、 クリュニー修道院 が中心となって推進→叙任権闘争(教皇
グレゴリウス7世 と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立)→1077年、
カノッサの屈辱 …教皇権の優越→十字軍の遠征 2)、封建社会の崩壊 1、十字軍運動の背景…教皇権の伸長・宗教的情熱の高揚、ヨ−ロッパ封建社会の成熟と外部への膨張的機運→ セルジュ−ク=トルコ の小アジア進出→ ビザンツ 皇帝の救援要請→1095年 、 クレルモン 公会議…教皇
ウルバヌス2世 が十字軍を提唱→7回にわたる十字軍→前期…第1〜3回、陸路、宗教的動機濃厚→後期…第4〜7回、海路、経済的要求、目的地変更 2、十字軍の影響…すでに存在していた北ヨーロッパ商業圏に加えて地中海商業圏の成立→ 香辛料 ・絹などの輸入でイタリア諸都市の発達→両商業圏を結ぶ内陸通商路の都市の発達→11〜12世紀、自治都市の成立…ギルドを形成、商業活動の自由、市民の自由身分、市政の自治など、「都市の空気は自由にする」→特に
ロンバルディア同盟
や ハンザ同盟 の成立したイタリアや北ドイツで発達 3、封建社会の衰退…貨幣経済の進展→荘園の解体、中世身分秩序の崩壊、広域支配の可能性と必要→地代形態の変化…労働地代と生産物地代から生産物地代に一本化、さらに 貨幣地代 へ→ 独立自営農民
(イギリスではヨーマン)の発達 4、領主権の衰退…荘園の崩壊による経済的基盤の喪失、農民一揆の頻発→戦術の変化… 火砲 の使用による重装騎兵の役割低下→ 国王の 廷臣 化…領主層は地代を取り立てるだけの地主 5、教皇の権威失墜… 十字軍 の失敗・教会の世俗化、教会の財政破綻、国王による中央集権化→
アナーニ事件 (1303)…教皇 ボニファティウス8世 が仏王フィリップ4世と聖職者への課税を巡って対立し、捕らえらる→
教皇のバビロン捕囚
(1309〜77)…教皇庁が南仏の
アヴィニョン に移る→
大シスマ (教会大分裂、1378〜1417)→ ウィクリフ やフスによる宗教改革→
コンスタンツの公会議 (1414〜18) 6、神聖ローマ帝国の分裂… イタリア 政策でロ−マ教皇と衝突→ 叙任権 闘争→諸侯の自立→ 大空位時代 (1256〜73)…シュタウフェン朝後の諸侯の対立で実質的に皇帝不在→ 金印勅書 (1356、黄金文書)…皇帝カール4世、 七選帝侯 を承認、領主裁判権の承認→ 領邦国家 への分裂…300ほどの地方主権の分立 7、イギリスの王権…征服王朝として強力な権力→
マグナ=カルタ の発布(1215)…
ジョン 王の失政、フランス領の多くを喪失、教皇インノケンティウス3世に破門され、家臣となる→封建貴族の特権再確認、「王もまた法に従う」という原則の確立→身分制議会の発展…
ヘンリ3世 がマグナ=カルタを無視、重税→ シモン=ド=モンフォール の挙兵→ 1265年貴族と高位聖職者の諮問会議に 州 と 都市 の代表を招く…イギリス議会の始まり→エドワード1世…1295年 模範議会 を招集 8、フランスの王権…初めは王権不振→ノルマン人の侵入→ カペー 朝(987〜1328)→王権の伸長… フィリップ2世 (1180〜1223)、都市に特権付与、諸侯の抑圧→英王 ジョン王 から国内領土を奪う、南仏の異端の
アルビジョワ派 を討伐→三部会の成立…
フィリップ4世 (1285〜1314) 9、百年戦争(1339〜1453)→戦争による疲弊で 諸侯 ・ 騎士 の没落→王権の伸長 |