アメリカ合衆国の台頭 アメリカ合衆国の基礎はイギリスの開いた13植民地であります。その最初はエリザベス1世時代に建設されたヴァージニア植民地で、これはスペインが中南米に建設した栽培植民地と全く同じタイプで、インディアン、後には黒人奴隷を酷使するタバコのプランテーションなどが営まれていました。しかし清教徒革命前夜にピルグリム=ファーザズがメイ=フラワー号で北米に渡り、ニュー=イングランド植民地を開くと、中小市民を中心とした移住植民地が開かれました。その結果、自治の精神が発達し、事実上の市民社会が次第に形成され、本国の植民地支配、特にその重商主義政策がその完成を妨げていました。フランスとの対抗上この矛盾は表面化しませんでしたが、フレンチ=インディアン戦争がイギリス側の勝利に終わり、フランスの脅威がなくなると、この対立は深刻化し、アメリカ独立革命に発展していきました。 独立革命の特色としては、国内の改革が余り行われなかったこと、イギリスの圧政への不満から理念として民主主義が重んじられたことにあります。アメリカ合衆国では州の自治が幅広く認められ、三権分立が徹底されました。こうして世界で最初に大国の共和国が成立しました。独立革命で活躍したのは州権派でしたが、現実的に中央集権的な国家を建設しないと戦後の混乱が克服できず、連邦派が力を持ち、両者の対立が続きます。 その後合衆国はナポレオン戦争時のフランスからミシシッピ以西のルイジアナを買収するなど、順調に領土を拡大しました。メキシコとの間には武力闘争もありましたが、比較的に平和的に行われました。とても幸運な国といえます。獲得した西部の開拓のためにフロンティア精神が発達し、これが民主主義の大きな精神的なバックボーンとなっていきます。ここで自主的な精神や自治が養われていきました。対外政策の面では、独立革命のさいに、植民地獲得競争で一人勝ちしたイギリスへの反発から多くのヨーロッパ諸国の援助を受けましたが、フランス革命では中立政策が取られました。また、ラテン=アメリアカ諸国の独立運動にさいしてモンロ−教書(1823)が発表され、相互不干渉主義が提唱されました。これが19世紀末まで合衆国の対外政策の基本となります。 西部の開発とともに、工業の発達した北部はこれとの結びつきを強め、共に発展していきます。これが南北の対立を深め、南北戦争に発展していきます。南部では綿花栽培の大農場経営が中心で、奴隷制度を必要し、イギリスとの貿易の必要から自由貿易を主張していました。反連邦主義の民主党が優勢です。これに対して北部では自作農中心で、商工業が発達し、国内市場拡大のために保護貿易を主張していました。また、人道主義的な観点からも、自由な労働力の必要からも奴隷制度に反対していました。連邦主義の共和党が優勢でした。南北戦争は工業力に優れ、内外の支持を得た北部が勝利し、これにより南部でも商工業の発展が可能になり、産業革命が急速に進展します。ただ、そのさいに北部を代表する共和党が強引に改革を進めたので、南部の反発を買い、将来に渡って対立が残りました。また、黒人奴隷の解放がなされましたが、北部に利用された面が強く、差別が残りました。 南北戦争後、アメリカでは第二次産業革命が飛躍的に発展しました。共和党政権のもとで保護貿易政策が取られ、トラストが発達しました。大陸横断鉄道の建設により、1890年頃にはフロンティアが消滅し、1894年に工業生産力が世界第1位になりました。これと共に1890年代以降帝国主義時代に突入し、太平洋・極東への進出が必要となりました。共和党のマッキンリーは最初の帝国主義的大統領といわれ、国内では高関税政策を推進するとともに、キューバの独立運動が契機に米西戦争(1898)を引き起こしました。その勝利後にキューバにプラット条項を押しつけて保護国化し、フィリピン・グアム島・プエルトリコなどを獲得しました。列強による分割の進んでいた中国に対して門戸開放・機会均等・領土保全の門戸開放通牒(1899)を発表し、これが新たな対外政策の基本となりました。次のセオドア=ローズヴェルト大統領(1901〜09)は国内的には進歩主義(革新主義)を採用し、反トラスト法を発動して資本家を抑制し、社会改革に努力しました。対外的にはカリブ海政策として棍棒外交、ドル外交を展開し、パナマ運河の建設に着工しました。 共和党の内部対立により、次の選挙で勝利した民主党のウィルソン大統領(1913〜21)は新自由主義を主張し、反トラスト法の励行・関税の引下げなど種々の改革に取り組みました。第一次世界大戦に参戦すると、無併合・無賠償・民族自決を中心とする極めて理想的な十四カ条の原則を提唱し、世界で指導的な役割を果たしていきました。ただ、その余りに理想的な性格のため、パリ講和会議では孤立し、ヴェルサイユ講和条約は14カ条の原則から大きく逸脱したものになりました。また彼の提案で成立した国際連盟にアメリカは加入しませんでした。戦後の共和党政権は孤立主義の伝統に立ち返り、自国の経済的な発展を最優先にしました。この結果、黄金の20年代と呼ばれる繁栄が続き、家電製品・ラジオ・映画の普及、自動車の大衆化により大衆文化が発達しました。対外的にはイギリス・フランスではどうしても処理できない場合のみ乗りだし、ワシントン体制を作り上げ、ドーズ案を成立させました。これらは遅すぎとの批判を受けています。 戦時中にアメリカは連合国への輸出・債権の貸し出しを飛躍的に拡大しました。戦後もヨーロッパの復興のためにそのまま拡大路線を採用しました。しかしヨーロッパが復興し、アジアの生産が伸びると、必然的に過剰生産となり、世界経済恐慌が起こります。その時に民主党のフランクリン=ローズヴェルト大統領(1933〜45)はニューディール政策を推進し、全国産業復興法・農業調整法の制定、テネシー川流域開発公社による開発などを行い、産業に保護と統制を加えました。これは修正資本主義といわれ、従来の自由主義から大きく方向転換しました。イギリス・フランスがブロック経済に走り、他の国々を困窮に追いやったのに比べ、すぐれたものでしたが、資金力に余裕のあるアメリカだからできた面もありました。ニューディール政策の結果がはっきり出る前に、第二次世界大戦が始まり、軍拡により国民経済の復興はなされました。 第二次世界大戦ではアメリカは連合国に経済的支援を行い、1941年には14ヵ条の精神を受け継ぐ大西洋憲章を発表しました。日米開戦とともに本格的に参戦し、その後は諸会談を通じて主導権を握り、平和で安定した戦後世界の構築に努めていきます。 13植民地の形成とイギリスの植民地政策 1)、イギリスの植民活動 1、 ヴァ−ジニア 植民地(1584年に建設、タバコなどを栽培するプランテーション)→ピルグリム=ファーザ−ズ゙(1620)… ニュー=イングランド 植民地(ピューリタン中心、移住植民地)→ ジョージア 植民地(1732) … 13植民地 の建設 2、植民者… 農業 を主として人口多く永住的な植民…自主独立の精神が強い→商工業発達 2)、イギリス・フランスの植民地抗争 1、英仏第二次百年戦争(17世紀後半から19世紀初めまで)…ヨ−ロッパでの国際戦争と並行 2、 フレンチ=インディアン戦争 (七年戦争)…イギリスが勝利→パリ条約→イギリスが カナダ 、ミシシッピ以東の ルイジアナ を獲得 3)、本国の植民地政策 1、 重商主義 政策…植民地の商工業抑制→本国商品の販売地・原料供給地 2、「有益なる怠慢」…フランスとの対抗上厳密な履行なし、また植民地の人々も本国との協力 3、七年戦争(1756〜63)の影響…戦争で植民地の民兵が活躍して軍事的自信、他方イギリス本国政府は財政難→課税政策・ 重商主義 政策の強化→植民地側の反発 4)、イギリスの課税政策と植民地側の反発 1、植民地のための戦争による負債や植民地の防衛費は植民地が負担すべし→
印紙法 (1765) →砂糖法など…書類や刊行物へ印紙を貼ることを規定→植民地の言論機関の反発→「代表なくして課税なし」という主張→翌年撤回→タウンゼント諸法(茶・紙・ペンキ・ガラスなど)→
茶法 (1773)…アメリカへの茶の輸出を東インド会社に限定→反対 2、
ボストン茶会事件 (1773) …急進的反英派が東インド会社の船を襲撃→本国政府の弾圧…軍隊の派遣、ボストン港の封鎖 アメリカ独立革命 1)、戦争の勃発 1、第1回 大陸会議 (1774)…フィラデルフィアで開催→「権利の宣言」…独立の意図はない 2、
レキシントンの戦い
(1775)…最初の大規模な戦い 2)、戦争の展開 1、植民地側は ワシントン を総司令官に 2、独立をめぐる対立…植民地総人口250万、独立派・忠誠派・無関心派に三分 3、独立気運の高揚… トマス=ペイン 『コモン=センス』→独立宣言(1776.7.4)… トマス=ジェファソン が起草、大陸会議で宣言…基本的人権と暴政への革命権←ロックの影響 4、植民地軍有利→連合規約でアメリカ合衆国 5、ヨ−ロッパ諸国の支援… フランクリン の遊説→フランスの参戦(1778)・スペインの参戦(1779)、義勇兵の参戦(ラファイエット、コシュ−シコ)→
武装中立同盟 の結成(1780) 6、 ヨークタウンの戦い (1781)…植民地側の勝利→ パリ条約 (1783)…アメリカ合衆国の独立承認、ミシシッピ川以東の ルイジアナ 割譲 3)、独立革命の影響…フランス革命の原因、 ラテン=アメリカ 諸国の独立運動に刺激 合衆国憲法の制定 1)、合衆国憲法の制定 1、憲法制定会議の開催(1787)…フィラデルフィア、議長はワシントン→連邦派と州権派の対 →アメリカ合衆国憲法の制定(1788) 2、合衆国憲法の特色 イ、 連邦主義 …各州に自治を認めながら、重要な権限を中央政府が掌握 ロ、 三権分立 …立法・行政・司法権にわけ、相互のバランスを保つ ニ、 民主共和主義 …共和国の建設、基本的人権・人民主権の承認 2)、憲法をめぐる対立 1、 州権派 …憲法に批判的、ジェファソンなど…地方分権と民主主義→後に民主党 2、 連邦派 …憲法を支持、中央集権主義→後に共和党 3)、連邦政府の発足 1、1789年、初代大統領に
ワシントン 、1800年、首都を ワシントン 2、連邦派中心に戦後の復興と建設に努力…関税・消費税などによる歳入増加、国立銀行設立 3、フランス革命に対しては 中立政策 を貫く アメリカ合衆国の発展 1)、経済の自立 1、第3代大統領 ジェファソン (1801〜09)…反連邦派、民主主義の推進 2、第4代大統領マディソン(1809〜17)…ナポレオン戦争時のイギリスの通称妨害に対抗して 米英戦争 (1812〜14)→アメリカの経済的自立を促進… 木綿工業 の発達 3、第5代大統領 モンロ− (1817〜25)…ラテン=アメリアカ諸国の独立運動にさいして モンロ−教書 発表(1823)…相互不干渉主義を提唱 2)、領土の拡大 1、 ルイジアナ …1803年、フランスより買収→ルイスとクラ−クの探検 2、 フロリダ …1819年、スペインより買収 3、 テキサス …メキシコ領に植民したアメリカ人が独立運動→1845年、併合 4、オレゴン…1846年、カナダとの紛争を機に併合 5、 カリフォルニア …1848年、アメリカ=メキシコ戦争の結果獲得 3)、西部の開拓 1、辺境開拓…最初に猟師、毛皮商人→牧畜業者、鉱山関係者→開拓農民 2、促進要因… ゴ−ルドラッシュ 、自営農地法(1862)、交通の発達 3、 フロンティア 精神…アメリカの民主主義を生み出す基盤 4、東北部の工業に広大な国内市場を提供 5、第7代大統領 ジャクソン (1829〜37)…最初の西部出身の大統領、民主主義の発展 奴隷制度と南北戦争 1)、地域対立の拡大 1、南部…綿花栽培の 大農場 経営中心→ 自由 貿易を主張、 奴隷制度 を必要、反連邦主義→民主党 2、北部…自作農中心→ 商工業 発達→国内市場拡大のために 保護 貿易を主張、 奴隷制度 に反対(自由な労働力の必要、人道主義)、連邦主義→共和党 3、西部…開拓により発展→北部はこれと結びついて産業を発展→南北の対立激化 2)、奴隷問題 1、人道主義的な問題…民主主義社会に矛盾→ ストウ夫人 『アンクル=トムの小屋』 2、労働力・購買力としての問題 3、自由州と奴隷州の新州獲得競争→ ミズ−リ 協定(1820)…南北の妥協→カリフォルニアが自由州として加盟(1850)→ カンザス=ネブラスカ法 (1854) 3)、南北戦争(1861〜65) 1、共和党の リンカン が大統領に就任(1860)→南部諸州の分離→アメリカ連合国形成→開戦 2、経過…最初は南部優勢…リ−将軍の活躍→ 奴隷解放令 の発布…内外の世論の支持→ ゲティスバ−グ の戦いで北軍の勝利…グラント将軍の活躍→南軍の首都 リッチモンド の陥落 4)、共和党主導の南部の再建 1、南部…合衆国の軍政下→1887年に終了…南部諸州の合衆国復帰 2、連邦憲法の修正…奴隷制度の正式廃止→解放黒人に公民権・投票権付与 3、 産業革命 の進展…南部の大農場経営者没落、中産階級成長 5)、黒人差別 1、南部諸州…州法によって公民権・投票権を制限→社会的差別の助長 2、黒人の経済状態…失業者多数→一般には シェア=クロッパ− として生活 3、南部のプランタ−・小農民・新興産業資本家…共和党政権に反抗→「堅固な南部」の形成、クー=クラックス=クランの組織 大西部の開拓と工業の発展 1)、大西部の開拓 1、 ホ−ムステッド法 (1862)…西部開拓促進 2、鉱山街の形成…1860年前後からネヴァダ・コロラドなど、金・銀の採掘 3、牧場の発達…牛のロング=ドライヴ→世界一の小麦生産…農民の大平原進出 4、 大陸横断鉄道 の完成(1869)→辺境の消滅(1890年ころ) 2)、工業の発展 1、共和党政権の保護→石炭・石油・鉄鋼などを基本とする工業躍進 2、19世紀末に世界一の工業国家…天然資源が豊富、西部の市場が拡大 3、独占企業の成長→労働運動や農民運動の高まり 3)、移民の増加 1、工業発展の原動力の一つ 2、南北戦争以前…西欧・北欧系が中心 3、南北戦争以後…東欧・南欧・アジア系の増加→低賃金の非熟練労働者→社会問題の発生 4)、対外問題…ナポレオン3世のメキシコ出兵に対抗、アラスカの買収(1867) アメリカの帝国主義 1)、帝国主義政策 1、アメリカの産業…南北戦争後大発展→共和党政権…保護貿易、 トラスト 発達→1890年頃 フロンティア の消滅、1894年に工業生産力が世界第1位 2、パン=アメリカ会議(1889)→1890年代以降には太平洋・極東へ進出強化 3、労働運動…1886年、 アメリカ労働総同盟 の結成…職能別組合主義、穏健派 2) マッキンリー 大統領(1897〜1901、共和党) 1、保護貿易…高関税政策 2、 米西戦争 (1898)…キューバの独立運動が契機→勝利後にキューバにプラット条項、保護国化→ フィリピン (アギナルドの独立運動を無視)・グアム島・プエルトリコ獲得 3、 ハワイ の併合(1898) 4、 門戸開放通牒 (1899)…国務長官ジョン=ヘイ、門戸開放・機会均等・領土保全 3)、 セオドア=ローズヴェルト 大統領(1901〜09、共和党) 1、進歩主義(革新主義)… 反トラスト法 の発動→資本家抑制、社会改革に努力 2、カリブ海政策…棍棒外交、ドル外交→ パナマ 運河着工、ポーツマス条約仲介 4)、 ウィルソン 大統領(1913〜21、民主党) 1、新自由主義…「新しい自由」を主張、反トラスト法の励行・関税の引下げなど種々の改革 2、ルシタニア号事件を契機に第一次世界大戦に参戦→十四カ条の提唱 ヴェルサイユ体制とワシントン体制 1)、パリ講和会議(1919) 1、基本精神…アメリカ大統領ウィルソンの 十四カ条 … 秘密 外交の廃止・ 海洋 の自由・軍備縮小・ 民族自決 ・植民地問題の公正な解決・国際平和機構の設立など 2、3大国による運営→代表者…ウィルソン(米)・ ロイド=ジョージ (英)・ クレマンソー (仏)→英仏は自国の利益を優先、植民地維持、報復的態度 3、ヴェルサイユ条約…ドイツに対して極めて過酷な講和条約、 アルザス ・ ロレーヌ をフランスに、 ポーランド回廊 をポーランドに割譲などの国境の変更、全植民地の放棄、ドイツだけの軍備制限、多額の賠償金 2)、民族自決主義の原則 1、新興8カ国の誕生… フィンランド ・エストニア・ ラトヴィア ・リトアニア・ポーランド・ チェコスロヴァキア ・ハンガリー・ ユーゴスラヴィア 2、 ドイツ の再興抑制、 ソ連邦 の西進防止 3、ヨ−ロッパ内に限定…アジアの民族自決無視、ドイツの植民地は委任統治領 3)、国際連盟の設立(1920) 1、世界恒久平和を目的…史上初の大規模な国際的機構、本部は ジュネーヴ 3、主要機関…総会・理事会・連盟事務局、それ以外に国際労働機関や 国際司法裁判所 3、欠陥… 米 ・ ソ ・ 独 の未加入、 全会一致 の議決方式、軍事制裁力なし アメリカ合衆国の繁栄 1)、国際的地位の向上 1、大戦中、連合国に物資を供給→巨利→戦後、債権国に 2、戦争の犠牲小、復興景気で貿易拡大、復興資金の海外投資→世界経済の中心 2)、国際政治の指導 1、 モンロー宣言 (1823)以来の孤立主義の伝統の復活→ 国際連盟 に不参加 2、 ワシントン 会議(1921〜22)を主催…海軍軍縮条約、九カ国条約、四国条約など 3、ドーズ案の作成…ドイツの 賠償 問題に尽力 3)、内政 1、民主主義の進展… 婦人参政権 の実現(1920) 2、経済の繁栄… 共和党 の政権(1921〜33)…ハーディング→クーリッジ→フーヴァー→大企業の保護政策展開…黄金の20年代、大量生産・大量消費による「永遠の繁栄」 3、現代大衆文化の成立…家電製品・ラジオ・映画の普及、自動車の大衆化 4、アメリカ的価値の強調…禁酒法・移民法の成立 世界経済恐慌とその影響 1)、恐慌の原因 1、 生産過剰 …アメリカの設備投資熱、独占資本の発達による産業の合理化、大戦後のヨ−ロッパ諸国の経済復興 2、国内市場の縮小…所得配分の不均衡、生産の機械化・合理化→購買力低下、自作農の没落・失業者の増加 3、海外市場の縮小…ヨ−ロッパ経済の復興、発展途上国・ソ連の工業化、高関税政策 2)、恐慌の発生と波及 1、発端…1929年10月、ニューヨークの株式市場(ウォール街)で株式の大暴落→大恐慌…生産急落、失業者増大、銀行・企業の倒産、商業・貿易の不振→国民生活活気喪失 2、世界各国の経済…アメリカ経済に依存→資本の引き上げ→世界恐慌 3)、 フーヴァー 大統領(1929〜33、共和党)の対策 1、資本主義の自然回復能力を主張…無為無策→恐慌の拡大 2、 フーヴァー=モラトリアム の発表…賠償・戦債等の1年の支払停止→効果なし→ファシズムの脅威 ニューディールと第二次世界大戦 1)、 フランクリン=ローズヴェルト 大統領(1933〜45、民主党)の対策 1、 ニューディール 政策の推進(1933〜35)…修正資本主義→保護と統制 2、国民経済の復興策… 全国産業復興法 (NIRA)・ 農業調整法 (AAA)の制定、 テネシー川流域開発公社 (TVA)による開発 3、金融恐慌対策… 金本位制 の停止 4、労働対策… ワグナー法 の制定…労働者の団結権・団体交渉権の承認→労働運動活発→労働組合の発展→ 産業別組合会議 (CIO)の成立 2)、アメリカの外交政策 1、 善隣外交 政策…ラテン=アメリカとの友好→キューバの完全独立など 2、 ソ連 の承認(1933)、 フィリピン に10年後の独立を約束(1934) 3)、第二次世界大戦と連合国首脳の諸会談 1、アメリカ…連合国に経済的支援→大西洋憲章の発表(1941年)→日米開戦とともに参戦 2、諸会談を主導…カイロ会談(1943年11月、満州・台湾の返還、 朝鮮 の独立) → テヘラン 会談(1943年11月、フランス上陸作戦)→ ヤルタ 会談(1945年2月、ドイツの戦後処理、 ソ連 の対日参戦決定)→ ポツダム 会談(1945年7月、対独戦後処理協議と対日処理方針決定) |