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 多くの外国人は「日本の宗教は難しくてわからない」と考えています。神道と仏教がうまく習合して日本人の生活の中に入っているので、混乱してしまうのです。彼らは日本の宗教に関していろいろな疑問を抱いているようですが、次のような質問が一般的だと思われます。

★日本の宗教の歴史を教えてくれませんか?
神

 日本には神道と仏教という2つの宗教があります。神道は宇宙の至る所にいるとされる万物の神を信仰するものです。古代の人々の生活の中から生まれた日本固有のもので人々の生活の中で重要な役割を果たしてきました。他の宗教のように神道には確立した教義、道徳規範や経典といったものが全くありません。そのため、人々は生活の中で神道を仏教と容易に折衷調和させることができるのでしょう。

 仏
仏教はインドで生まれ中国、韓国を経由して6世紀の中頃日本に入って来ました。最初、仏教の受け入れをめぐって豪族間で争いがありましたが、最終的に中国(隋)の文化とともに仏教を受け入れることにしたのが、聖徳太子でした。聖徳太子はいくつかの寺院、法隆寺などを奈良近辺に建立し、以後千年以上もの間仏教は国家仏教として、神道を支配する立場になりました。仏教は主に平安時代までは支配者階級のものでしたが、平安時代に入り天台宗・真言宗が起こり、鎌倉時代になると浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・禅宗など新仏教が誕生し、一般庶民の間に広まっていきました。そして、江戸時代には徳川幕府により寺院の統制が進み、仏教は檀家制度のもとで家の葬儀や供養を含む先祖崇拝に、重点を置くようになります。

 1868年、明治維新になると天皇を主権者とする政権が再び誕生し神道は国家神道となりました。天皇は女神天照大神の子孫として神格化されます。天照大神は彼女の孫に三種の神器を授け、それは子孫の天皇へ、初代は神武天皇とされていますが、代々の天皇へ継承されていったとされています。このような皇孫思想が日本民族の優越性という感情をはぐくみ、日本帝国の名のもとに軍備拡張へと進ませたのです。神道は日本国民の思想信条と見なされ、国中の大小さまざまな神社の中で(神社神道として)具体化されていきます。第二次大戦後連合軍は神道と国家を分離させ、それを日本国憲法の中で明らかにしました。また天皇は詔勅を発して自ら神格を否定する人間宣言を行います。そして国家主義的な目的のために神社を利用することは禁止されます。

では、閣僚が靖国神社を継続して訪れるのはどうですか? 
 戦死者を祀る靖国神社を閣僚が参拝するのは、戦前日本と敵対したアジアの国々で、火種となっています。問題はその参拝が私人としてのものかどうかということで、私的な参拝であれば差し支えないと思います。

日本人は、誕生と結婚を神式で祝い、葬儀は仏式ですると聞いて混乱してしまいました。日本人には信仰心があるのですか? 
 日本固有の宗教である神道には教義や経典がなくたくさんの神々がいるせいか、日本人は宗派・教義には拘らないのです。それは宗教に全く無関心ということではありません。悩み多き青年時代には哲学に興味を抱きますが、仕事や家庭のことで忙しくなると宗教から遠ざかり、年をとるとまた宗教に関心を持つてきます。
信仰の対象はキリスト教のような唯一の神ではありません。日本人は教義的ではありませんが、周りの出来事や自然の移り変わりから、すべては無常であると感じています。ですから、人間だけでなく森羅万象をも慈しみ大切にするのです。日本人は、「先のことはわからないから今を大切にしよう。良く生きることは良く死ぬことである。」とよく言います。

 ★神社とお寺はどのようにして区別できるのですか?神社
2本の主柱とそれに交差する2本の棟木の建築物を見付けたら、神社にいることになります。仏塔それは鳥居といって神聖な場所の入口を表します。鳥居の前には普通一対の狛犬がいます。
ところが、五重塔のような塔を見つけたら
そこは寺です。本来塔は仏の遺骨を納めるために建てられたものだからです。



町や村のはずれ、分かれ道のところで石で作られた像、時々何十もの石の   像が並んでいるのを見かけますが、何ですか?また、どうして赤いよだれか  けや帽子などを着ているのでしょうか?

 それらは地蔵菩薩の像で、子供たちや妊婦、旅行者の守護神とされています。地蔵菩薩は親切で正直な人に幸運をもたらす菩薩としてよく民話の中に出てきます。また、赤いよだれかけや帽子はお供え物です。子供を産前又は産後に亡くした母親が慰霊のために供えているのです。


★四国で白い衣服の巡礼者をたくさん見かけました。なぜ白い衣服を着ている のですか?みんな信仰心から巡礼しているのですか?
お遍路さん
 巡礼者の着ている白い衣服は清純・潔白を表しますが、昔は経かたびらを意味しました。巡礼者はいつも死の準備ができているということだったのです。巡礼者の中には、訪れた寺の印(仏号・寺号)などを予備の白い上着に押してもらい、家の宝として大切に保存し、亡くなった後、納棺の時に着せてもらう人もいます。
 遍路の動機は様々です。信仰心であったり、治癒や家内安全を祈ったり、故人をしのんで遍路に出る人もいます。また、日常生活からただ離れてみたいとか、レクレーションのため、時間をかけて考え、本当の自分を見つけたいなどという動機であったりします。

神像が仏像として祀ってある寺もあります。どうしてですか?また、お寺に よって納められている仏像が違いますが、仏像にも階層があるのですか?
 神道が仏教に習合されていく過程で、いろいろな形の神が現れました。例えば、9 世紀末、八幡神が僧の姿をした仏像の中に僧形八幡として現れます。しかし、最もよく知られた仏像は如来です。悟りを開いた人という意味で、仏像の中で最も高い位にあります。帰依する如来は宗派によって異なり、次のようなものがありますが、階層はありません。ただ役割が異なるだけです。 

・釈迦如来
 
苦行・修業の末、悟りを開き如来になったインドのゴータマシッダールタの像で、広大、包括的な力ですべての人間を救済するとされています。禅宗が帰依しています。

・阿弥陀如来
 
この如来は久遠の昔から存在し、その発する光は、世界中の人々をくまなく照らすとされています。浄土宗や浄土真宗はこの如来に帰依し、阿弥陀如来を信じ念仏を唱えれば極楽浄土に行けると説いています。

・薬師如来
 これは人々が病苦の治癒を祈る如来で、癒す力を持っているとされ、左手に薬壺を持っています。


・大日如来
 
この如来は真言宗が帰依していて、冠・アクセサリーを身につけており、若き日のゴータマシッダールタの像であるとされています。